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いつもありがとうございます。太極拳を40年続けています。身体のグラデーションというキーワードは肝だと思います。滑らかな動きを、バランスをとりながら、重力と戦いながら高級な遊びとして趣味でやっています。共通点がたくさんあり参考になりました。ありがとうございます。
お話が興味深いです。50代に怪我をしてから60代になり体の動きや鍛え方を再考しています。自分に合ったものや必要な事をようやく真剣に考え始めました。すごく勉強になります。
6:50 トレーニングには疲れたい願望(を満たしたい欲求)がある。一方、仕事はできるだけ疲れないように身体を動かすので、身体が本当に必要としている(日常生活に役に立つ)筋肉が付く
緊張と弛緩のグラデーションが個性。個性は全体の協調性。予測できる範囲を超えるゾーン。メンタルは技術に関わる部分。大丈夫という言い聞かせを取り除いた領域。迷いが滞り。稽古練習の設計で解消。筋トレは協調性の中にあるか?その稽古に、練習に、必然を感じる。感受。感受性。木に、枝にぶら下がり、落下すれば、怪我・最悪の死。そこで、木・枝を握る必然性が生まれる。この意味で、稽古・練習のいみがある。仕事の身体動作・所作による筋肉は疲れない筋肉。臨場感としての筋肉トレーニングが必然のトレーニング。才能は、臨場感の中にある。この意味で、努力は常に自分を裏切る。笑顔と笑いの中に秘密がある。科学の意味は、範囲と条件を限定することである。身体を直線的に使うと、ひずみとゆがみが生じるので、巻いて使う。この意味で持つ所作は絡むことだろうか。凄い講義でした。
現代スポーツは、人間本来の身体の機能、動きを制限して、ゲームの為に、動きをパターン化する事で、優劣を判断し、人間を極限まで消耗させて、競わせて楽しむのが目的。 だから、どれだけ極限に耐えられる肉体を持っているかが重要。 しかし、甲野氏の武術は、ゲームの為では無く、人間本来の、本能の動き、機能を追求している。 本能は、無駄な力や余計な動きを嫌う。人間の肉体も、「負荷に耐える」のではなく「負荷を逃がす」様に最適化されている。
コメントをお読みして、理解が深まった気がします。機能美は、器の自覚にある。道具としての身体の自覚が、器を壊さない様に『「負荷に耐える」のではなく「負荷を逃がす」様に最適化されている。』ありがとうございます。
ありがとうございます...
緊張・弛緩のグラデーションいかに細やかにする鍵は、感謝なんでしょうねwww( ´艸`)。謝は緊張の御免なさい。弛緩のありがとうございます。感謝は、緊張・弛緩のグラデーションいかに細やかに感じるかでしょうか。ありがとうございます。
@@ロビンZ ありがとうございます...私が真理だと確信しているのは、「ゆるむ=ゆるす=受け入れる=笑い=感謝=喜ばれる=使命としての頼まれ事をする=人間本来の生き方=調和・共生=魂の目的・喜び」という図式?です。 これは、衣食住政教などすべての分野において真理に到達した諸氏が言われていることです。 ですから、武道であろうが何であろうが、人間がするべきことはすべてこの方向に向かうのが自然であって、そこへ向かえば利に叶っており、本来の進むべき道なのだと私は思っています。 まさに日本人の道(どう)という発想に合致しています。 ちなみに、小林正観氏によると、道をきわめるために必要なものを道具と呼ぶそうです。ありがとうございます...
空手には緩急を意識してけいこしていますが、それが体の協調性なのかもしれません。古に宗家が会得したものですね。
スポーツと武道武術は本来的な目的が全然違うでしょ。スポーツはルール制限ある中でやるレクリエーションだし、武って言われる物は人を殺傷又は身を守る為の技術だし。筋トレ、ボディビルは筋肉を膨らませて見た目良く見せる為のもんで機能性は求めてないし(副産物として筋力増強)武道武術は以下に虚をついて敵を仕留めるか(ほぼ不意討ち)でそもそも昭和以前の日本に筋トレ概念は無いでしょ。日常生活自体が重労働、キツイ鍛練してる様なもんだしどうやったら身体を楽に効率良く運用するかって事よね。でも身体能力はこの時代の人のが圧倒的に優れてるだろうし現代人は栄養状態が良くなって体格は向上したけど体力は劣ると…
なるほどなあ。元々武道は、武術てあり、相手を殺して生き延びる為の技やったんやもんな。スポーツとは全くの別物ですね。体の使い方の考えかた事態違いますね。
スポーツも元は殺し合いなんですよ。古代ローマ時代に貴族が奴隷を使って殺し合いをさせたのが始まりですから。
ストレッチは硬くなる😅
武術はお金にならないのでスポーツ化してますね。
このお姉さんだれ?
女子アイスホッケーの佐野月咲さん
いつもありがとうございます。太極拳を40年続けています。身体のグラデーションというキーワードは肝だと思います。滑らかな動きを、バランスをとりながら、重力と戦いながら高級な遊びとして趣味でやっています。共通点がたくさんあり参考になりました。ありがとうございます。
お話が興味深いです。
50代に怪我をしてから
60代になり体の動きや鍛え方を再考しています。
自分に合ったものや必要な事をようやく真剣に考え始めました。
すごく勉強になります。
6:50 トレーニングには疲れたい願望(を満たしたい欲求)がある。
一方、仕事はできるだけ疲れないように身体を動かすので、身体が本当に必要としている(日常生活に役に立つ)筋肉が付く
緊張と弛緩のグラデーションが個性。
個性は全体の協調性。
予測できる範囲を超えるゾーン。メンタルは技術に関わる部分。大丈夫という言い聞かせを取り除いた領域。
迷いが滞り。稽古練習の設計で解消。
筋トレは協調性の中にあるか?
その稽古に、練習に、必然を感じる。感受。感受性。
木に、枝にぶら下がり、落下すれば、怪我・最悪の死。
そこで、木・枝を握る必然性が生まれる。
この意味で、稽古・練習のいみがある。
仕事の身体動作・所作による筋肉は疲れない筋肉。
臨場感としての筋肉トレーニングが必然のトレーニング。
才能は、臨場感の中にある。
この意味で、努力は常に自分を裏切る。
笑顔と笑いの中に秘密がある。
科学の意味は、範囲と条件を限定することである。
身体を直線的に使うと、ひずみとゆがみが生じるので、巻いて使う。
この意味で持つ所作は絡むことだろうか。
凄い講義でした。
現代スポーツは、人間本来の身体の機能、動きを制限して、ゲームの為に、動きをパターン化する事で、優劣を判断し、人間を極限まで消耗させて、競わせて楽しむのが目的。 だから、どれだけ極限に耐えられる肉体を持っているかが重要。 しかし、甲野氏の武術は、ゲームの為では無く、人間本来の、本能の動き、機能を追求している。 本能は、無駄な力や余計な動きを嫌う。人間の肉体も、「負荷に耐える」のではなく「負荷を逃がす」様に最適化されている。
コメントをお読みして、理解が深まった気がします。
機能美は、器の自覚にある。
道具としての身体の自覚が、器を壊さない様に
『「負荷に耐える」のではなく「負荷を逃がす」様に最適化されている。』
ありがとうございます。
ありがとうございます...
緊張・弛緩のグラデーションいかに細やかにする鍵は、感謝なんでしょうねwww( ´艸`)。
謝は
緊張の御免なさい。
弛緩のありがとうございます。
感謝は、緊張・弛緩のグラデーションいかに細やかに感じるかでしょうか。
ありがとうございます。
@@ロビンZ ありがとうございます...
私が真理だと確信しているのは、「ゆるむ=ゆるす=受け入れる=笑い=感謝=喜ばれる=使命としての頼まれ事をする=人間本来の生き方=調和・共生=魂の目的・喜び」という図式?です。
これは、衣食住政教などすべての分野において真理に到達した諸氏が言われていることです。
ですから、武道であろうが何であろうが、人間がするべきことはすべてこの方向に向かうのが自然であって、そこへ向かえば利に叶っており、本来の進むべき道なのだと私は思っています。 まさに日本人の道(どう)という発想に合致しています。
ちなみに、小林正観氏によると、道をきわめるために必要なものを道具と呼ぶそうです。
ありがとうございます...
空手には緩急を意識してけいこしていますが、それが体の協調性なのかもしれません。古に宗家が会得したものですね。
スポーツと武道武術は本来的な目的が全然違うでしょ。スポーツはルール制限ある中でやるレクリエーションだし、武って言われる物は人を殺傷又は身を守る為の技術だし。筋トレ、ボディビルは筋肉を膨らませて見た目良く見せる為のもんで機能性は求めてないし(副産物として筋力増強)武道武術は以下に虚をついて敵を仕留めるか(ほぼ不意討ち)でそもそも昭和以前の日本に筋トレ概念は無いでしょ。日常生活自体が重労働、キツイ鍛練してる様なもんだしどうやったら身体を楽に効率良く運用するかって事よね。でも身体能力はこの時代の人のが圧倒的に優れてるだろうし現代人は栄養状態が良くなって体格は向上したけど体力は劣ると…
なるほどなあ。元々武道は、武術てあり、相手を殺して生き延びる為の技やったんやもんな。スポーツとは全くの別物ですね。
体の使い方の考えかた事態違いますね。
スポーツも元は殺し合いなんですよ。
古代ローマ時代に貴族が奴隷を使って殺し合いをさせたのが始まりですから。
ストレッチは硬くなる😅
武術はお金にならないのでスポーツ化してますね。
このお姉さんだれ?
女子アイスホッケーの佐野月咲さん